英語教育雑感

英語教育雑感part2

昨日、認知科学に基づく語彙指導研究会、夏の定例会が開かれ、

森住衛先生より、
「英語教育における語彙の認知的指導ー比較文化的な意味、文法現象などの形式にー」
というタイトルでご講演いただいた。


例えば、aren'tやisn'tがあるのに、なぜ、amn'tはないのか。
日本語のすみません、と英語のsorry.とは
どう違うのか。


このようなことを50分の授業時間に5分でも良いから話して、異文化に触れさせ、考えさせる。


これこそ言語教育なり。と、森住イズムは
健在だった。


史上、最高の出席人数でした。


森住先生、ありがとうこざいました。

中田達也先生をお招きして

認知科学に基づく語彙指導研究会では、2021年度の春の定例会にて、「英単語学習の科学」の執筆者、中田達也先生をお招きしました。

皆の期待以上の中身の濃いご発表で、とても素晴らしい時間を過ごすことができました。

なかでも、一番最後に話された、「累積型単語テスト」と「非累積型単語テスト」ではどちらが効果が高いか、という研究は、

最新の未発表のもので、私たちの好奇心を

がっちりつかんだものでした。

「累積型単語テスト」とは、単語テストを

例えば8回やるとすると、1回目は、1から10までの単語をテストし、2回目は、1から20までの単語をテストし、3回目は、1から30までの単語をテストし、以下同様にして、8回目の単語テストは、1から80までを

テストする、というものです。80問必ずしも出さなくても、テスト範囲としてその中から数問出題されればよいということでした。

それに対して「非累積型単語テスト」は、

1回目の単語テストでは1から10までの単語をテストし、2回目の単語テストでは、11から20の範囲をテストし、以下同様にして

8回目の単語テストは70から80の単語をテストするというものです。


「累積型単語テスト」は、「非累積型単語テスト」に比べて統計的に有意な差を持って定着率が高いことがわかりました。

この研究から、単語テストは、ひとつの単語を何回も繰り返しテストすることの効果をあらわしていると思われます。


中田先生、改めて、素晴らしい時間をありがとうこざいました。





日本の英語教育を問い直す8つの異論

日本の英語教育を問い直す8つの異論 (桜美林大学叢書)

日本の英語教育を問い直す8つの異論 (桜美林大学叢書

  • 作者:衛, 森住
  • 発売日: 2020/12/22
  • メディア: 単行本
大恩ある森住衛先生の上記の本の書評を
書いた。ここに載せるのは、字数制限を
受けない、元の原稿のままである。

字数制限を受けたものは、雑誌「新英語教育」の書評欄に掲載される予定だ。
以下書評。

  本書は、50年もの長きにあたり、英語教育の危機的時代にあって文科省の言語教育政策に警鐘を鳴らしてきた森住衛氏の、氏自身によって書かれ、まとめられた英語教育論集である。第1部は、本のタイトルどおり、「日本の英語教育を問い直す8つの異論」であり、第2部は、氏が雑誌記事などまで書いてきた、英語教育に関するエッセイなどをらまとめたものになっている。
400ページもある分厚い本たが、氏の英語教育観に多大な影響を受けている私は、ほぼ一気読みしてしまった。第2部ももちろん面白いが、第1部は、今までの氏の主張の総まとめであり、次世代へと受け継ぎたい内容である。「異論」とは、文科省
言語政策や学習指導要領に対して「異」を唱えた論という意味であり、「8つの異論」とは、1外国語教育目的論、2 複数言語指導論、3 認知的指導論、4 「読む・考える」活動重点論、5英語教育題材論、6日本人名ローマ字表記論、7英語国際補助語論、8 英語教育反国際論、の8つである。
このうち、私が、特に森住氏でしか書けないと思うものは、1、5、8である。この3つについて簡単に紹介したい。

 1の外国語教育目的論では、まず教科の枠組みを超えた教育の目的として、「個人においては人格形成」「世界においては恒久平和」を挙げる。次に外国語教育に特化した目的として、教養、実用面から3つずつ挙げているが、その中で特に「公平な言語観を育てる」ということばの教育としての
目的は、言語をコミュニケーションの道具としか考えない、昨今の皮相な言語道具論に大きく異を唱えるものとなっている(この意味で森住氏は、日教組外国語部会の外国語教育の4目的を特筆に値すると評価している)。また、母語とは違う言語を学ぶことにより、母語を相対化し、自らの立ち位置を確認する、ということも重要な外国語教育の目的である、とする。
  次に5の英語教育題材論であるが、まず何故題材にこだわるのかについて、氏はこのように論を展開する。英語はことば、であり、ことばには必ずメッセージがある。そのメッセージとしての題材がなんでもよい、というわけにはいかない。だから題材にこだわるのである。
では、どのようなメッセージを発信するのか?異文化理解教材、社会や人間のあり方、共生、環境問題、平和教材などが挙げられるが、中でも森住氏独特なのは、「国内異文化」を題材として取り入れる、という点である。日本国内における在日外国語人との異文化接触アイヌなどの先住民族の言語や文化の問題など、「切れば血の出る」ような題材から目をそらさずに向き合うという姿勢は氏ならではと言える。また、ことばの教育である以上、「ことばの由来や仕組み、言語権・言語差別などのことばの社会性」などことばに関する題材も取り入れるべきであるとする。例えば「世界中に多くの話者がいる中国語や英語も、母語話者がひとりしかいない少数言語もことばの価値は同じであり、どの言語も等しく大切なものである」というようなメッセージである。
では最後に8について、どうしても書いておきたい。「英語は世界中の多くの人によって学ばれているが、その結果、他の言語を衰退させてきた(いる)。」という点で宿命的に反国際的なのである。国際的である、ということは、異言語の存在を尊重し合い、学び合う、ということであるが、
私たちは、宿命的に排他的で反国際的な英語という言語を子供たちに教えているのである。私たちは、このことの重みを感じて英語を教えていかなければならない。
   8つの異論のうち、3つを簡単に紹介したが、是非ご自分で手にとってお読みいただき、少しでも多くの人にこれらの主張が受け継がれていくことを願いつつ、筆を置く。








台湾進出⁈

覚えやすい順番で【7日間】学び直し中学英語

覚えやすい順番で【7日間】学び直し中学英語

上記の本が、台湾で、現地語に翻訳され、
書店に並ぶこととなった。昨日編集さんから話があったばかりである。

私が書いた本で、台湾の人が英語を勉強してくれる、と考えると単純に嬉しいのであるが、

外国語教育をまた英語教育一辺倒にすることに加担してしまうみたいで、
全く手放しには喜んでいない。

でも、、、

やっぱり嬉しい。

英語教育において多大に影響を受けた4人の方々

私には、「英語教育」で何を生徒に身につけさせたいか、という点において、大きく影響を受けた方が4人いる。

そのうち、3人は三省堂教科書繋がりなので、三省堂の教科書を本部委員として、密度濃くやらせてもらったことが、如何に私に

影響を与えたかを物語っている。

  まず、森住衛先生、峯村勝氏、中村敬先生の3人である。ある意味では、この3人の方に

プラスして、故若林俊輔先生をいれてもよい。この3人の方からは、英語教育の大きな目的と、「ことばの教育」とはなんぞや、

ということを教えていただいた。

   私は、新英語教育研究会とは、つかず離れずのような関係で付き合っているが、英語教育が扱う題材において、異文化理解教育、

平和教材、人権教育などの人格教育に資する題材については、新英研は、非常に優れた題材論を展開しており、見習うべきところ、多数あると考えている。しかし、惜しむらくは

「ことばの教育」という観点があまり反映されていない。新英研の人に言わせると、いや、そんなことはない、「ことばの教育」を

ちゃんとしている、ということなのだが、

やはり、中村敬先生、森住衛先生、峯村勝氏の言う「ことばの教育」と比べると、still its

infancyと言わざるを得ない。


中村敬先生から学んだ「ことばの教育」とは、多言語多文化主義に基づきながらも、

(狭義の)「ことばの教育」を英語の授業で扱うのであれば、英語をとことん追求するしかない、というある意味矛盾をはらんだ教育である。例えば、英語が生み出した文学作品の素晴らしさを堪能できる力を育てることも、英語という「ことば」観を深めるために必要不可欠なことであるが、英語という枠の授業でやるのであれば、英語でそれを追求するしかないのである。そしてここに、越えられない矛盾が生じると中村先生は言う。多言語多文化主義の立場をとるならば、英語の教科書では、英語で、英語圏以外の国のことを語ることになる。本来ならば、インドの話は、ヒンドゥー語で語るべきではないのだろうか。この矛盾はどう考えても未だに解決できていない、と先生は言う。


峯村勝氏からは、「メタ言語能力」を育てることの重要性を教えていただいた。「メタ言語能力」とは、まずマクロなレベルでは、英語ならば、英語とはどういう言語なのかを考える力を養うこと、それは、英語という言語に対する言語観を養うことでもある。ミクロなレベルでは、英語の文法、日本語との違いを知って、言語相対化を図ることである。

教科書作りでも、英語の文法をしっかり教えることの大切さを教えていただいた。


森住先生からは、直接の指導を受けたため、

最も大きな影響を受けている。中でも私が忘れられないのは、先生の展開する「英語教育の反国際性」という論である。日本の外国語教育は、英語一辺倒に偏っている。生徒自身が英語を勉強したい、というのであれば、結果的にはそれでもよい。しかし、現実は、

国の言語政策が経済界の要請により、英語という言語に偏っていると言うところが問題なのである。日本の外国語教育は、外国語教育の真の目的のためになされているわけではなく、財界に歪められた英語教育になっている。そして、英語という言語を学校で教えると決めた時点で(英語という言語を選択した時点で)他の言語を学ぶ機会をなくす、というところに、英語教育の反国際性がある。

ひとつだけを選んだ時点で他を排することになるからである。異質なもの(ここでは、母語ではない言語)はたくさんあるほうが、

豊かになる。そういう意味で日本の言語教育は豊かではなく、反国際的である。

また、森住先生は、ひとつの英語の教科書には、「ことば」を扱う題材がなければならない、という主張もなされた。何十万という話者を持つ中国語や英語も、たった一人の母語話者しか持たない少数言語も、その価値は

equally important なのである、というのが

森住先生の高校一年生用教科書に書かれた

最初のメッセージであった(EXCEED 英語I初版)。こうした言語観を育てる題材を先生は

とても大切になされていた。


さて、3人の先生について書いたが、4人めは、大津由紀雄先生である。先生から学んだことはかずしれないが、「ことば」の教育としての外国語教育、母語教育について、教えていただいたことは非常に多い。

まず、ことばには普遍性と特殊性があり、

小学校段階では、直観のきく母語で、ことばへの気づき、という力を伸ばす。この力は、外国語を学ぶときにも大変有効である。母語、ここでは日本語で、外国語にも通用することばの普遍性を学んでおけば、特殊性を学ぶときにも学びやすくなる。大津先生のお話は、中村先生、峯村氏、森住先生よりも、

どこかスマートで、笑いで人を先生の話にひきこんでしまう、ことばの達人、という感じがする。


さて、長々と書いてしまったが、ここでひとたび筆をおく。4人の先生方との出会いは、

ほとんど運命的であり、本当に会えて良かったと心から思う。

  

「日本の英語教育を問い直す8つの異論」

日本の英語教育を問い直す8つの異論 (桜美林大学叢書)

日本の英語教育を問い直す8つの異論 (桜美林大学叢書)

  • 作者:衛, 森住
  • 発売日: 2020/12/22
  • メディア: 単行本
森住イズムを継承する仕事をしたいと思っています。けど、どういう活動が良いのかがわかりません。

どこかにそういう団体はありますか?

中村敬先生にとっての成英研みたいな。

巷で話題の英単語記憶術にもの申す

最近、巷で、単語帳を利用した、英単語記憶術なるものを動画やブログなどで拝見する。


ウリは、「単語1語につき1秒」とか言うもので、人間は、覚えても忘れてしまうものだから、どうせ忘れるなら、「単語1語につき1秒で意味を思い出せるか、チェックすればよい」というもの。どんどん進んで、一冊の単語帳を何周も繰り返したほうがよいという話。

もう少しまともな説では、「単語1語につき、1秒で思い出せるくらいに単語を自動化させておかないと、その単語は使いものにならない」ということらしい。


如何にも最もなのだが、認知科学を少し勉強すると、この説は間違い、ということがわかる。


最後の目標として、単語1語につき1秒で、

チェック、は構わない。


問題は、最初の単語との出会い方。


単語に限らず、脳に新情報が入るときは、

人間の脳は、1秒では反応しない。人間には、短期記憶と長期記憶とがある。新情報は、まずは、短期記憶として、脳で処理されるが、速いときは数十秒間で、長くても数十分で消滅してしまう。この短期記憶に蓄えられている間に、長期記憶にある様々な情報と

照合されると、それは長期記憶になるのである。単語1語につき、1秒では、長期記憶との

照合などはできるわけがない。


もちろん照合されても、忘れてしまう可能性はある。


しかし、短期記憶が長期記憶と照合される時間を確保してあげないと、長期記憶にはならないのである。


だから、単語という新情報との最初の出会いは、ゆっくりでなければならない。


そして、その単語が自動化されるために、

徐々にスピードアップしていく。


これがセオリーである。


私の提案は、最初は、単語を見て、頭の中でイメージしたりしてゆっくりと単語を処理し、だんだんとスピードを上げていくというものである。


このセオリーを使った単語集を考案中。